世にも奇妙な言葉遊びと四月馬鹿
少年たま(16)は、柔道場で体育教師Tから問を投げかけられた。
「「絶対」と言えるものは世の中に存在するか。」
少年たま(16)は考えた。
「愛、死、平和、時間の流れ…。それらしいものはきっと答えではないだろうし、「絶対」と言える存在であるとどのように証明したらよいか…。」
体育教師Tは挑発する。
「お前たちみたいなゆとり世代は、常に思考停止状態なんだ!自分の頭で物事を考えることなどほとんどないだろう!!」
少年たま(16)は苛ついた。
しかし体育教師Tをぎゃふんと言わせる答えは思いつかない。
ふと、少年たま(16)は閃いた。
「どこかのエロい人がこんなことを言っていたな、「われ思う、ゆえにわれあり」と。あらゆる存在の確実性を懐疑的に吟味し、あらゆるものの確実性を否定していっても、いま現にそう思考している自我だけは否定することができない、と。」
すなわち、こうだ。
「いま、体育教師Tは「絶対」と言える存在があるかないかと聞いている。答えは、客観的には、「ある」か「ない」かのどちらかだ。ネコは50%死んでいる、なんてことは現実にはあり得ない。仮に「ない」と仮定してみよう。すなわち、「絶対」と言えるものは「ない」と。」
…よく分からない。
「あれぇー、おかしいよー。」
「「「絶対」と言えるものはない」って答えの中に「絶対」って言葉が入ってる。「絶対」はないはずなのに「絶対」がある。自己矛盾だ。」
真相はかうだ。
「「「絶対」と言えるものは世の中に存在するか。」という問は、「絶対」という概念の存在を前提としている。つまり、この問に答える限りにおいて、「絶対」という概念の存在は否定できないということか…「絶対」という概念の存在は「絶対」であると…。」
体育教師Tは言った。
「ぎゃふん。」
こんばんは、たまです。
昨日はエイプリルフールでしたが、皆さん楽しく過ごせましたか?
友人に、同僚に、一本やられてしまった…という方、
ちょっと待ってください。
事件はまだ終わっていないかもしれませんよ、会議室どうこうではなく。
「うそだぴょーん!^^」
その「うそだぴょーん!^^」が「うそ」だったかもしれませんよ。
「「うそ」である」という「うそ」をつかれていたかもしれない。
「うそ」という「うそ」。
そう、あなたは昨日エイプリルフールに「うそ」という名のもとに衝撃の真実をカミングアウトされていたかもしれないのです。
※体育教師Tの話は一部フィクションです。
皆さんにとって、新年度が素敵な1年になりますように。
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HIV感染者が救済される理由 ~薬害エイズ事件和解の日~
こんばんは、たまです。
今日3月29日は、薬害エイズ事件の訴訟上の和解が成立した日です。
今から20年前の1996年3月29日、6年以上もの長きにわたる2つの訴訟が
和解という形で区切りを迎え、その後のHIV感染者の救済への道が開かれました。
薬害エイズ事件を簡単にまとめると、
1980年代、血液製剤という薬剤にHIVが混入していたにもかかわらず国や製薬会社が
適切な流通停止措置等を行わずにHIV感染者を発生・拡大させてしまったという事件です。
1980年代前半は、HIVについて未解明な部分も多かったことなどから、
対応が後手に回る中で1800人もの人がHIVに感染してしまったとのことです。
和解に至るまで、裁判所も含めた訴訟関係者は、事件被害者の真の救済に向けて相当の神経を削ったと言われています。
仮に原告側が勝訴となるとしても、訴訟を長引かせてしまったり、人によって救済の条件が異なってしまったりしては、
一刻も早い救済を望むHIV感染者である被害者の方々一人ひとりにとって真の救済にはならない可能性もあったからです。
現在僕たちHIV感染者が障害者手帳を取得でき、また自立支援医療(更生医療)を受けることができるのも、
もとをたどると薬害エイズ事件の訴訟上の和解における「確認書」の記述に行き着きます。
この「確認書」に、国が中心となりHIV感染への「恒久対策」を行うことが明記され、
この記載に基づいてその後さらに原告団と国との間で協議が重ねられて、
最終的にその検討会において、HIV感染者が1998年4月から「身体障害者福祉法」に基づいて障害者認定を受けられるよう決定されたのです。
それまでの道は、本当に血がにじむような困難の連続だったようです。
訴訟の原告団の皆さんは、福祉制度も治療法も確立されていないなかでHIVと闘い、被告(国・製薬会社)と闘い、そして社会と闘ってこられたわけです。
現在僕たちが受けている福祉制度は決して自然発生的なものではなく、
多くの方々の尽力と犠牲のもとに得られたものであることを、決して忘れてはならないと思っています。
皆さんにとって、今日1日が素敵な1日になりますように。
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アルコールにも負けない抗HIV薬の服用管理
こんばんは、たまです。
東京の桜もいよいよ本格的に花開いてきました。
相方の国試も無事に合格し、4月からは新生活になります。
大宰府の菅原道真公、ありがとうございましたm( _ _ )m
それはさておき、春は出会いと別れの季節。
僕の周りでも3月も後半になってお酒の席が増えてきて、
特に週末にかけてヘロヘロすることが多くなっています。
僕は毎日22:30が服薬時間なので、飲みの予定が入ると
どうしても服薬時間をずらさなきゃいけない場面も出てきます。
しかもお酒があんまり強くないので(すぐ顔に出るし、ほわほわしてきます…)
アルコールが入ったときは服薬ミスしないようにかなり気を使います。
抗HIV薬は「たまにある1回の飲み忘れ」も大事につながることがあるので、
服薬ミスがありそうな時こそ、何か確実に服薬を維持できる工夫が必要です。
僕の場合は…
①1週間分のピルケースで毎日の薬を管理
②毎日22:30に携帯アラームを発動させる
③飲んだら相方にLINEのスタンプを送る
という方法で服薬管理をしています。
①や②は生活に取り入れている人も多いと思いますが、③を是非ともおススメしたいです。
飲み忘れなどが起こってしまうときは、だいたい何らかの原因で
自分自身の意識や行動にどこか不十分なところがあってスルーしてしまう
ことがほとんどだと思うので、そこに誰か第三者の目を取り入れることはとても有意義なことです。
僕の場合は相方ですが、HIV感染をカミングアウトしている人がいれば両親でも友達でも良いと思います。
「飲んだよー」ってことが分かる決まったスタンプを相手に一方的に送ることで、
自分の服薬管理にもなるし、定時にスタンプが送られてこなかったら相手が心配して教えてくれるかもしれません。
毎日決まったスタンプをポンと送るくらいだったら自分も相手も負担にもなりにくいですし。
ちなみに僕が相方に毎日送っているスタンプはコレ↓です。
スヌーピー好きなんです (ノ・∀・)ノ
何かを飲んでるような雰囲気を醸し出しているし、
周りの「☆」や「!」がカラフルな抗HIV薬のイメージによく似ているので採用しましたw
人によって生活スタイルもいろいろなので、スタンプ以外にも方法はたくさんあると思います。
とにかく、HIV感染者にとって服薬は欠かすことのできない日常イベントです。
もし服薬管理方法に不安や悩みがある方がいれば、お気軽にご相談ください。
ひょっとしたら何かのお役に立てるかもしれません。
皆さんにとって、今日1日が素敵な1日になりますように。
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エヴァンゲリオン、発車っ!!!
こんばんは、たまです。
3連休、皆さまいかがお過ごしでしたか?
僕は相方と福岡まで旅行に行ってきました。
東北も候補に入れていたのですが宿と電車の手配が上手くいかず、
次の連休あたりに行こうかと思っています。
博多の大濠公園にて。
2枚目は、ふらふらしていたところを相方にフライデーされましたw
僕も相方も、学生時代にスタバ店員をしていたこともあって、
大濠公園へはスタバのコンセプトショップ視察が目的だったのですが、
桜も開花していて、お散歩もとても心地よかったです。
バナナのたたき売りと焼うどんと焼カレーで有名な門司港にも行ったところ、
北九州ラーメン王座決定戦
なるイベントがちょうど開催中でした。
(15店舗ほどが出店していて、チケットを買って食べて投票する、そんな感じです。)
チケットを買おうとしたところ、やおら2人組のおばさん淑女が近づいてきて、
「兄ちゃん達、チケット買うん? 買うんやったらおばちゃんがあげるわ。
そのかわり食べたら○○(店名)に投票してな。カワイい子はお得やな~♪」
などと、なぜか7杯分もラーメンチケットをもらえたので、
2人して半年分くらいの博多ラーメンをたらふく食べてきました。
そして、帰りに小倉から博多へ移動しようとしたところ、
エヴァンゲリオン新幹線に遭遇!
僕はたいして詳しくないのですが、相方が大のエヴァ好きで、
「カヲルくん!!!><」
などとテンションがおかしくなり、車内で子どものように騒いでいました。
そして、お土産に2人で
合計1万円近くの「博多通りもん」
を買いまくって帰路につきました。
…有用な情報もなく、何ともまとまりもない旅日記ですみません (・・;)
旅の想い出を胸に、今週も頑張ります。
皆さんにとって、今日1日が素敵な1日になりますように。
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災害時のお薬事情 ~HIV感染者の場合~
こんばんは、たまです。
前回は3.11について書かせてもらったので、
今日は特に服薬に関する災害時の備えについて少し書いてみようと思います。
HIVはもちろんのこと、他の慢性疾患を持つ人にとって、
災害時に服薬・投薬をどうするかというのは非常に重要な問題です。
飲食もままならない緊急時であっても、身体は待ってくれないのです。
例えば、糖尿病の方であれば、人によってはインスリンと注射のセットを
外出先でも常に準備しておかなければならなかったりということがあります。
3.11の際には、糖尿病の患者の方がインスリン不足で困ったという話も見聞きしました。
(数日後に被災地にインスリンが届いた際にも、薬はあるのに注射用の針が足りなかった、というような事例もあったようです。)
その患者数は日本の全人口からすれば非常に少ない、希少な疾患です。
災害時においても、上記のインスリンのようにすぐに薬が供給されることは期待しにくいかもしれません。
しかも、HIV療法の場合は人によってメニューが多様なので、普段自分が服薬している薬が手に入らない可能性も高いです。
このような状況が想定される以上、HIV療法を受けているのであれば
事前にしっかりと対策を練っておくことが非常に重要です。
・すぐに主治医に連絡できるよう備えておく
例えば、長期にわたって自宅に抗HIV薬を取りに帰ることができそうもなく、
やむを得ず一時服薬を中断しなければならないと見込まれる場合でも、
耐性獲得防止の観点から中断の仕方に工夫が必要になる薬の組み合わせもあります。
その他にも、善後策について早急に主治医に確認を取る必要が出てくる場合が発生すると想定されます。
検索せずとも連絡先が分かるように、病院の電話番号が書いてある診察券等は
常に財布に入れておくなど身に着けておいた方が良いかもしれません。
・普段服用している薬の名前をちゃんと覚えておく
抗HIV薬に限らず、災害時には意外と重要になる事柄です。
特に日和見感染症の治療や予防のために多くの種類の薬を服用している方は意識して覚えておく必要があります。
緊急に主治医以外に処方をしてもらうにしても、曖昧な記憶では処方する側も躊躇してしまうかもしれません。
3.11の際には、普段は煙たがられがちな「お薬手帳」も役に立ったようです。
・予備の薬を確保しておく
何より、これが一番の方法ですね。
僕は旅行でなくても外出する際には常に約1週間分の抗HIV薬を持ち歩くとともに、
遠距離中の相方にも予備の薬を少し預けています。
また、緊急避難袋に保管しておくという方法もあるかもしれません。
薬の所在を分散させるというのは、投資と同じでリスクヘッジになります。
(ただ、薬の有効期限が切れないよう管理が必要です。)
とはいえ、毎日必ず服薬する薬なのでなかなか余剰薬を確保するのも難しいかもしれませんが、方法はあります。
あまり声を大にはできないのですが、例えば3か月に1回の通院で3か月分の薬の処方をしてもらっている場合、
通院のタイミングをそれぞれ1週間ずつ前倒しすれば、1年間で4週間分の予備のお薬が確保できます。
(3月第4週→6月第3週→9月第2週→12月第1週→2月第4週…のように。)
最近は処方の際の余剰薬管理も厳しくなってきていますし、そもそも高価な薬なので節度を守る必要はありますが、
自分の命を守るためにある程度は余剰薬を確保しておくことも必要なことだと思います。
災害への備えは、「最悪のシナリオ」を想定することが肝要です。
そのための準備は日常生活では面倒臭く感じて後回しにしてしまいがちですが、
ゼヒとも早め早めにしっかり対策しておきたいものです。
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知ること、見ること、想うこと ~3.11にそえて~
こんにちは、たまです。
皆さん今週も一週間お疲れさまでした。
土日もお仕事の方々、大変お疲れさまです。
来週末は3連休ということでお出かけ予定の方も多いと思いますが、
僕も相方とどこかに行こうかと計画を練っています。
昨日は3月11日。
僕は14時46分にはお仕事真っただなかだったので、
その少し後の時間に、亡くなった方へ心の中で静かにご冥福をお祈りしただけだったのですが、
相方はテレビで追悼式典の中継を見ていたようで、「宮城行きたいかも…」と言っていました。
僕は、震災直後に友人と石巻市に向けての募金活動に参加したことがきっかけで、
震災から半年後に初めて石巻を訪れ、震災の被害や復興の様子を見に行きました。
相方とは3年前のちょうど今頃、一緒に石巻を訪れましたが、
相方はその時のことがずいぶん印象に残ったようで、
直後かなり複雑な感情に襲われたようです。
僕はその後、去年のシルバーウィークにも、
ボランティアとか大したことをしたわけではないのですが、
そこで見た光景や抱いた感情はしっかりと心に刻まれています。
震災で亡くなった方やその遺族の方の苦痛はさることながら、
運良く生き延びることができた方々のなかでも、
今なお先の見えない辛い日々を送っている方が多くいらっしゃいます。
人によっては、これから先の生活のことを考える方が辛い
という方もいるかもしれません。
震災発生から年を追うごとに問題となるのは、
震災の記憶の風化とそれに伴う世間の無関心化です。
人々の記憶が風化し、世間が無関心になっていくと、同じ被害を招く可能性を生むだけでなく、
支援を必要とする人に必要な支援が行きわたらなくなることにもつながります。
しかしながら、直接震災を経験した人は格別、早かれ遅かれ、
記憶というものは自然と風化していってしまうことが避けられないものです。
そうした風化を少しでも遅らせ、少しでも記憶を心に刻んでおくために求められるのは、
まずは震災の事実とそれに巻き込まれた人々の現在を正しく「知ること」、
そして可能であればそうした事実や人々の現実を自分自身の目で「見ること」、
そうした行動がきっかけになって、震災に関わる事実・人々のことを「想うこと」、
こうしたことなのではないかと考えています。
なにも大きなお金を募金したり、ボランティアに参加することが支援のすべてではありません。
皆、それぞれのバックグラウンドがあり、それぞれの生活があります。
自身の生活を犠牲にしてまで行動を起こさなければいけないと義務感を抱くことは、
支援の趣旨に違背する可能性も孕みます。
一人ひとりが可能な範囲で、知ること・見ること・想うことを通じて、
辛く悲しくも確かに存在する事実に想いを寄せて、共感し、想像することが、
社会における草の根レベルでの継続的な、そして新たな動きにつながり、
明日の見えない生活を送る人たちの一人でも多くの笑顔につながっていくのではないかと思うのです。
皆さんにとって、今日1日が素敵な1日になりますように。
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自分や大切な人の「万が一」に備えて
こんばんは、たまです。
流れる季節の真ん中で、ふと日の長さを感じるこの頃、
今日は春本番のようにとても暖かい一日でしたね。
(そして、明日は「3月9日」ですねw)
さて、先週末はブログ更新をサボって、
新幹線に乗って遠距離中の相方に会いに行ってきました。
東京からは、在来線を乗り継いで1時間半程度で着くので、
「遠距離」って豪語するほどではないのですが(^^;)
彼氏彼女と遠距離で付き合っている人も少なからずいると思いますが、
こと自分がHIVに感染していると、離れている間に相方には
とても心配をかけていることもあるだろうなぁ、と思います。
そうそう簡単に体調が急変するということはないにしても、
一般の人の免疫力からすれば低い状態ですからね…。
別にHIVに感染していなくても、同性愛者の場合、
パートナーに「万が一」のことがあった場合、色々と大変です。
相手が災害・事故・病気など突然の出来事で意識を失って病院に搬送されることになった場合…
法律上の「親族」ではないパートナーに、自分はどう関わることができるのか。
(養子縁組して法律上の親子関係として「親族」になるという方法もあるにはありますが…。)
パートナーが言葉を発せない状態で、病院から自分に病状を説明してもらうことができるのか。
「家族」以外は面会謝絶の際に、自分はパートナーのそばにいることができるのか。
そもそも、パートナーに「万が一」があった際その事実について自分に連絡が入るのか。
僕たちも話し合ったうえで、ずいぶん前からお互いの「万が一」に備えて、
このような「緊急時連絡先カード」を持ち合い、財布の分かりやすい所に入れています。
(画像は、数年前に何枚かもらったうちの余った1枚が机の奥から出てきたものです。)
最近は「個人情報保護法」の影響などで、本人の同意がなければ、
法律上の親族関係(または内縁関係)にある程度の「家族」でないと、
病院で本人に関する情報を提供してもらえない、緊急時の面会を拒絶される、
という可能性も想定されます。
そのような場合に、このカードは、臓器提供カードのように
「本人の事前の意思を表明するツール」
として、本人の意思が表明できない場合に大きな効果を持つものになると思います。
自分やパートナーに「万が一」が発生した事実について連絡してもらいやすくなるし、
病院でも情報の提供や面会といった面で便宜を図ってもらえる可能性が高くなります。
別に画像のような形式のものに限らず、適当な紙や名刺の裏などでも問題ないと思います。
「万が一」の場合の問題をすべて解決することはできないですが、
大切な人との絆を守るために、是非おススメしたい方法です。
皆さんにとって、今日1日が素敵な1日になりますように。
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ヤクザもいる、明るい社会(ちょっと長文)
こんばんは、たまです。
今日はちょっとHIVとはあまり関係のない話を…
昨日水曜日はノー残業デーで、特に職場で飲みもなかったので
仕事上がりに東中野まで映画を観に行ってきました。
「ヤクザと憲法」!
「ヤクザと拳法」なら何となくありそうなタイトルだけどw
もともと、「大地を受け継ぐ」という別の映画を観ようと思って調べていたら、
たまたま同じ映画館で上映しているこの映画を見つけたという流れです。
夜間上映で時間もピッタリだったので急遽観に行こうと思い立ちました。
(「大地を受け継ぐ」は日中の上映なので、後日観に行こうと思ってます。)
ここ、「ポレポレ東中野」という約100席の小さな地下映画館なのですが、
それほどメジャーではないドキュメンタリーものの映画を中心に上映していて、
僕の興味をそそるタイトルがたくさん…。しばらく通い詰めそうです。
さて、たいそうディープなタイトルなので、失礼ながら観客は多くないと見込んでいたら、
客席は7割方埋まる盛況で、カップルやJK集団までいてとても意外でした。
内容は、某「指定暴力団」関連組員の「日常」と「現実」を実録したドキュメンタリーです。
ヤクザの内部事情については、本や雑誌で描かれたものを読んだりすることはあっても、
ヤクザが普段どんな生活を送っているのかを映像として観たことは今までなかったので、
とても新鮮でしたし、よくもまぁ撮影が許されて作品にまで漕ぎつけたものだと感嘆しました。
ちなみに、画像の真ん中の人が会長さんです。
本当に普通にそこらへんにいそうなお父さんみたいな風貌なのですが、
立ち居振る舞いがすごくカッコよくて、やっぱり威厳があって強い目力を感じました。
(そして、撮影当時61歳だったようですが40代くらいにしか見えないくらい、とにかく若い!)
元来「やくざ」は、今で言うところの地域コミュニティのセーフティネット的な存在として、
社会に適応できなかった人たちの受け皿として機能していた互助組織が起源のようです。
(今でも、そのような受け皿としての役割は生きているのではないかと思われますが。)
それが戦後に組同士の抗争やシノギ(ヤクザの収入それ自体やそれを確保するための手段)が激化し、
暴徒化する組員が増えてきて社会問題化したため「暴力団」という言葉が当てられ、
「ヤクザ」=「暴力」団=「危険」という図式が世の中に定着するようになっていきました。
特に、最近はいわゆる「反社会的勢力」の排除に向けた動きが急速に進んできています。
「反社会的勢力」と認定された組関係者は(そしてそこから脱退したとしてもそれから5年間は)
普通に生活しようと思っても、銀行口座が作れなかったり、家も借りられなかったり、
保険に入れなかったり、葬儀会場すら使えなかったり…。
確かに、組抗争が過熱する中で罪のない一般人が巻き込まれて命を落とす事件も
少なからず発生しているし、違法薬物の蔓延に加担したりする組員も多く存在するなかで、
そうした違法行為や「脅威」から社会を守っていく必要は、間違いなくあると思います。
ただ、この映画を観ていると分かるのですが、ヤクザといっても本当に色々な人がいます。
社会の中で、他にはどこにも居場所がなくなってヤクザになる道を選んだ「弱者」も多い。
そうした人たちでも「反社会的勢力」と十把一絡げにされ、締め上げられ排除を試みられる。
マクロの目で把握された「脅威」を排除するために、ミクロの世界で確かに生きている個人は忘れ去られる。
そうしたなかで表の社会と裏の社会とが造り出され、個人は裏の社会へと追いやられ
イリーガルに生きることを強いられる。
そして、規制それ自体が新たな規制の必要性を生む、そんな悪循環になっていく。
「ヤクザもいる、明るい社会」
作品中に登場したとても印象に残っている表現です。
「あー、ちょっとこの人たちと一緒やっていくのはちょっとなぁ。。。」
とは思っても、その存在自体を社会の一員としては認めて何とかやりくりして共存している社会。
構成要素の多様性をしっかり承認して包摂できる社会の方が、明るい、健全な社会である。
そのような主張を孕んだ言葉なのだと、僕は理解しています。
「反社会的勢力」という「集団」の「脅威」や危険性から社会を守る必要は、確かにある。
でもそのために、その「集団」自体をどう扱うべきなのか。排除すればそれで良いのか。
そしてその「集団」の構成員である「個」の憲法上の基本的人権をどこまで犠牲にすることができるのか。
適切な政策のあり方を探るべく、まずは腰を据えて対象の置かれている現実を、
偏見を持たず正確に把握することの重要性。
そしてその重要性は別にヤクザだけでなく、様々な社会的マイノリティーに対する
差別にもあてはまるなのではないか。
…などなどと、とりとめもなく色々と考えさせられる作品でした。
作品の切り口に対してはもちろん人によって賛否両論あって当然ですが、
個人的にはとても有意義な作品だと思いました。
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服薬中の抗HIV薬「ストックリン」と「エプジコム」
こんにちは、たまです。
快晴な今日、都内では東京マラソン絶賛開催中だったというのに、
なぜか時期遅れの箱根駅伝の夢を見て目覚めました…。
あ、マラソンとは犬猿の仲なのでもちろん東京マラソンにも出ていませんがw
最近は水泳くらいでしか身体を動かしていません…。
うーん…運動しなきゃ。。
前回、僕の場合の陽性告知から投薬開始までの流れをザッと書いてみましたが、
その流れで今日は、僕が毎日お世話になっている抗HIV薬を紹介します。
上の黄色の錠剤が「ストックリン」(600mg錠)という抗HIV薬で、
松屋の千切りキャベツの夢や箱根駅伝の夢を見る原因になった(かもしれないw)
「悪夢(異夢)」や精神的な副作用がよく話題になるお薬ですが、成分的には
1999年から使われていて使用実績が多く、効きも良い、ベテランのお薬です。
下のオレンジ色の錠剤が「エプジコム」という、2種類の抗HIV薬の合剤です。
こちらも、配合されている2剤の成分的には昔から使われている歴史のあるお薬です。
今日現在最も新しい抗HIV薬で、服薬している人も多いと思われる
「トリーメク配合錠」にもこのお薬の成分が配合されています。
現在、HIVの治療においては、一般的には異なる3種類の抗HIV薬を組み合わせて
服薬することが多くなっています(耐性ウィルスを発生させないようにするため)。
僕の抗HIV薬の組み合わせでは、「1日1回・食事の有無問わない」服薬で済みます。
ただ、上記のように「ストックリン」の副作用の観点から、夜間就寝前に服薬しています。
僕が投薬を始めた2010年前後には、
「ストックリン」+(「エプジコム」または「ツルバダ」)という2錠の組み合わせが、
「1日1回・食事の有無問わない」という点で一番便利な組み合わせでした。
それ以前の1990年代には、なんと1日20錠(カプセル)以上ものお薬を
きっちり8時間ごとに飲む必要がある大変な時代もあったようです。
最近では、新しいクラスのお薬や従来のクラスでも新薬が増えてきたうえに、
上記の「トリーメク配合錠」、「スタリビルド配合錠」や「コムプレラ配合錠」など、
1日1回1錠(STR:Single Tablet Regimen といいます)
で済むお薬も複数出てきて、利便性は格段に上がっています。
(独立行政法人国立国際医療研究センター エイズ治療・研究開発センター HIV/AIDS eラーニング・プログラム ホームページ(http://acc-elearning.org/AIDS/TextVersion2V9.html)より引用)
さて、気になるお値段は??
現在、初めて治療を始める人に推奨される抗HIV薬の組み合わせでは、
一部を除きいずれも概ね1日あたり合計6000円~7000円(1か月換算で約18万円~21万円)
前後になるような薬価になっています(健康保険・各種福祉制度適用前)。
しかし、しっかり手続きを踏めば、自己負担額は高くても1か月2万円程度で済みます。
(前年度の所得や、居住している地方自治体における福祉制度の重畳適用によっては、2万円より低くなります。)
生きていくために毎日欠かすことができないお薬、感謝して飲まなきゃですね。
抗HIV薬の詳細や服薬管理の工夫については、また追って紹介できればと思っています。
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6年前の三寒四温の思い出 ~告知から投薬開始までの流れ~
こんばんは、たまです。
暖かい日も少しずつ増えてきて、まさにそんな季節になってきましたね。
まだまだ寒い日は続きますが。
そんななか職場ではカゼ気味な方が続々…僕を含む。。
昨日くらいから鼻水・鼻づまりとくしゃみが止まらない。。。
皆さんもどーぞお気を付けください。
ところで、ちょうど6年前の三寒四温なこの頃、
僕は身障者手帳と自立支援医療(更生医療)の申請をしていました。
HIV感染判明したのが12月で、それからほどなく診察と血液検査を受けたら
予想よりもCD4(免疫力の指標)の値が悪くすぐに申請の基準を満たしたようで、
そのまま申請をしてGW過ぎに投薬を始めたのでした。
(以前にも書きましたが、僕は感染からずいぶん早く免疫が低下していたようなのです。)
ということで今日は、僕が感染告知を受けてから投薬に至るまでの
実際に経験した流れを簡単に記してみたいと思います。
感染告知(その場で、HIV治療のための病院リストと紹介状をもらう)
↓
初回診察・血液検査(様々な性病・日和見感染検査も含め、かなりのフルコース検査)
↓
初回検査結果(CD4の値は約350程度、早々に投薬の準備を始めないとならぬと判明)
↓
2回目診察・血液検査(ちなみに、HIV関連の血液検査は原則的に月1回までとのこと)
↓
2回目検査結果(CD4の値が今回も約350程度だったので、手帳等を申請することに)
↓
身障者手帳・自立支援医療の適用申請(主治医に意見書を書いてもらい申請しました)
↓
3回目診察・血液検査(+抗HIV薬の耐性検査(効かない薬がないかの検査)も行う)
↓
3回目検査結果(耐性はないと確認!ちなみにこの耐性検査、とっても高額です…)
↓
申請が通り、身障者手帳・自立支援医療受給者証を取得(これで投薬準備完了)
↓
4回目診察・血液検査(抗HIV薬の説明をしてもらい、薬の種類を決定する)
↓
4回目検査結果(ここで初回の抗HIV薬【エプジコム・ストックリン】も処方してもらう)
↓
投薬開始(体調に変化があっても仕事に差し支えにくいよう週末に服薬開始)
ざっとこんな感じでした(初回診察から投薬開始まで約5か月)。
追って、それぞれの過程について詳しく書ければいいなぁと思っていますので、
それまでの間、今しばらくお待ちいただければと思います。
ご質問等々ありましたらご遠慮なくお寄せください!
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