ブログというツールが持つ訴求力(ちょっと長文)
こんにちは、たまです。
昨晩はカオスな夢にうなされて微妙な目覚めをしてしまいました。
自宅で、松屋のサラダ用の生野菜を器に盛りつけて計量するという内職をしていて、
その結果、家の中じゅうに千切りキャベツが散乱してしまっているという…。
しかも生野菜のはずなのになぜかキャベツからはもくもくと湯気が上っているしw
僕が飲んでいるストックリンという抗HIV薬は、有名な副作用に
「悪夢(異夢)」
というものがあって、飲み始めの数日間は何とも奇妙な夢を見たことを覚えていますが、
今となっては飲み始める前と比べてどうかと言われるとあまりよく分かりません。
ただ単にストレスが溜まっているだけ、っていう可能性も否定できないし。
僕の身体にはそれほど相性の悪いお薬ではないような気もしています。
さて、僕もブログを始めてもう1か月経過して少しずつ慣れてはきたのですが、
最近他の方のブログを今まで以上に訪れるようになって感じることは、
HIV関連のブログはあまり継続率が高くないんだなぁ、ということです。
人それぞれ、ブログを始める理由はそれぞれ持っていると思います。
・自分自身の気持ちの整理のため
・将来の自分のために記録を残しておくため
・同じ趣味や境遇の方とコミュニケーションをとるツールとするため
・自分の日々感じたこと、思ったこと、経験したことを他の人に読んでもらうため
更新が止まってしまう理由はいろいろと考えられるところではありますが、
HIV感染が発覚してブログを始めたけれど、数か月~1年程度経過した頃には
ある程度気持ちの整理もついて、各種申請や治療(投薬)方針も定まってきて、
ブログを更新する必要性が低下したということなのかなぁ、とも思っています。
(まぁ、そうなれば必然的にHIVに関連して書くネタは少なくなってきますし。)
「便りがないのは良い便り」とはよく言ったもので、
大きな支障なく日常生活を送れるようになったということであれば喜ばしいことですが、
突然更新が止まっていると、病気が病気なだけに心配になってしまうこともあります。
心配になるのに加えて、僕自身は、更新が止まってしまうことを残念だとも感じます。
僕もそうだったのですが、HIV感染が判明したばかりの人は、同じく感染した方の
ブログを読んで様々な情報を得たりすることが多いのではないかと思います。
感染が判明して自分はいまどんな立場に置かれているのか、
他の感染者はどんな気持ちで生活してきたのか、通院や治療はどうするのか、
お金はどれくらいかかるのか、自分の命はこれからどうなるのか、等々。
そうした情報は、ブログでなくてもネット上の情報や感染者向けの冊子などで
得ることもできますが、やはりブログに綴られた情報は、実際に歩みを進めてきた方の
「生きた情報」であり、読み手に訴えかける・浸透していく力は非常に大きいものです。
よく未成年者の犯罪に関する実名報道や週刊誌への顔写真の掲載などが問題となりますが、
そこで実名報道等を行う側がよく主張するのは、「情報の生々しさ」という観点です。
つまり、ただ単に「17歳の少年A」と報道するよりも、
「東京都○○区の△△高校に通う甲野太郎という17歳の男子高校生」
とした方が、情報の受領者はより詳細なイメージを持ち得るし、報道の力はより増します。
報道機関としては、事実をより強い力をもって報道することが使命だ、という論理です。
(少年法との関連もあり難しい問題ではありますが、その是非は議論になる部分なのでここでは割愛します。)
少し逸れましたが、情報の訴求力は、その「情報の生々しさ」に負うところが大きいのです。
「HIVは今では慢性疾患とも言えるものとなり、ほぼ寿命を全うできる」と言われても、
感染者が実際に生きてきた記録として綴った情報とでは説得力が大きく異なります。
実際に様々な苦悩を経験してきてはいるけれど、今しっかり生活することができている、
という「生きた情報」に触れられた方が、情報の説得力・訴求力は増します。
日本におけるHIV感染者(AIDS発症者を含む、以下同じ)の累計(報告)数は
2014年末時点でおよそ2万5000人程度と報告されています。
もちろんこの数は少ない方が望ましいのですが、日本全体の人口と比較すれば少ないもので、
HIVに関連する「生きた情報」はまだまだ不足しているのではないかと考えます。
一方で、ここ数年の年間の新規HIV感染発覚者は1500人程度にも及び、
毎日2~3人は陽性告知をされ、闇の中で苦しみ始めているという現実があります。
そして、パートナーや家族など、そうした人を突如として支えることになる人もいます。
当人にとっては取るに足らない日々の経験や雑事であっても、
実際のHIV感染者や感染者を支える人々がブログにおいてその内容を綴ることは、
他の感染者や感染者を支える人々に有益な「生きた情報」とエールを与えるとともに、
感染不安を持つ人への啓発など新たな感染者を増やさないための「生きた情報」とも
なり得る、大切な「財産」になるのだと思います。
まだまだブログひよっこの僕が言うのも僭越ですが、せっかくの「生きた情報」を
更新を止めてしまって情報の海に埋もれさせてしまうのは大変もったいないと思います。
数か月に1回でも、簡単な近況報告や「元気にやってます!」と更新されるだけでも、
そのブログは生き続け、それまで綴った情報もより活力を帯びるのではないかと思うのです。
皆さんにとって、今日1日が素敵な1日になりますように。
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