HIV7年生男子の雑記~HIVをポジティブに~

HIV感染から7年目のアラサーゲイ「たま」の雑記。HIVに関する経験や日々の出来事を記していきます。tamatamatama1984@gmail.com までご遠慮なく!

HIV感染者が救済される理由 ~薬害エイズ事件和解の日~

 

こんばんは、たまです。

 

今日3月29日は、薬害エイズ事件の訴訟上の和解が成立した日です。

今から20年前の1996年3月29日、6年以上もの長きにわたる2つの訴訟が

和解という形で区切りを迎え、その後のHIV感染者の救済への道が開かれました。

 

薬害エイズ事件を簡単にまとめると、

1980年代、血液製剤という薬剤にHIVが混入していたにもかかわらず国や製薬会社が

適切な流通停止措置等を行わずにHIV感染者を発生・拡大させてしまったという事件です。

 

1980年代前半は、HIVについて未解明な部分も多かったことなどから、

対応が後手に回る中で1800人もの人がHIVに感染してしまったとのことです。

 

和解に至るまで、裁判所も含めた訴訟関係者は、事件被害者の真の救済に向けて相当の神経を削ったと言われています。

仮に原告側が勝訴となるとしても、訴訟を長引かせてしまったり、人によって救済の条件が異なってしまったりしては、

一刻も早い救済を望むHIV感染者である被害者の方々一人ひとりにとって真の救済にはならない可能性もあったからです。

 

現在僕たちHIV感染者が障害者手帳を取得でき、また自立支援医療(更生医療)を受けることができるのも、

もとをたどると薬害エイズ事件の訴訟上の和解における「確認書」の記述に行き着きます。

この「確認書」に、国が中心となりHIV感染への「恒久対策」を行うことが明記され、

この記載に基づいてその後さらに原告団と国との間で協議が重ねられて、

最終的にその検討会において、HIV感染者が1998年4月から「身体障害者福祉法」に基づいて障害者認定を受けられるよう決定されたのです。

 

それまでの道は、本当に血がにじむような困難の連続だったようです。

訴訟の原告団の皆さんは、福祉制度も治療法も確立されていないなかでHIVと闘い、被告(国・製薬会社)と闘い、そして社会と闘ってこられたわけです。

 

現在僕たちが受けている福祉制度は決して自然発生的なものではなく、

多くの方々の尽力と犠牲のもとに得られたものであることを、決して忘れてはならないと思っています。

 

 

皆さんにとって、今日1日が素敵な1日になりますように。

  

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