世にも奇妙な言葉遊びと四月馬鹿
少年たま(16)は、柔道場で体育教師Tから問を投げかけられた。
「「絶対」と言えるものは世の中に存在するか。」
少年たま(16)は考えた。
「愛、死、平和、時間の流れ…。それらしいものはきっと答えではないだろうし、「絶対」と言える存在であるとどのように証明したらよいか…。」
体育教師Tは挑発する。
「お前たちみたいなゆとり世代は、常に思考停止状態なんだ!自分の頭で物事を考えることなどほとんどないだろう!!」
少年たま(16)は苛ついた。
しかし体育教師Tをぎゃふんと言わせる答えは思いつかない。
ふと、少年たま(16)は閃いた。
「どこかのエロい人がこんなことを言っていたな、「われ思う、ゆえにわれあり」と。あらゆる存在の確実性を懐疑的に吟味し、あらゆるものの確実性を否定していっても、いま現にそう思考している自我だけは否定することができない、と。」
すなわち、こうだ。
「いま、体育教師Tは「絶対」と言える存在があるかないかと聞いている。答えは、客観的には、「ある」か「ない」かのどちらかだ。ネコは50%死んでいる、なんてことは現実にはあり得ない。仮に「ない」と仮定してみよう。すなわち、「絶対」と言えるものは「ない」と。」
…よく分からない。
「あれぇー、おかしいよー。」
「「「絶対」と言えるものはない」って答えの中に「絶対」って言葉が入ってる。「絶対」はないはずなのに「絶対」がある。自己矛盾だ。」
真相はかうだ。
「「「絶対」と言えるものは世の中に存在するか。」という問は、「絶対」という概念の存在を前提としている。つまり、この問に答える限りにおいて、「絶対」という概念の存在は否定できないということか…「絶対」という概念の存在は「絶対」であると…。」
体育教師Tは言った。
「ぎゃふん。」
こんばんは、たまです。
昨日はエイプリルフールでしたが、皆さん楽しく過ごせましたか?
友人に、同僚に、一本やられてしまった…という方、
ちょっと待ってください。
事件はまだ終わっていないかもしれませんよ、会議室どうこうではなく。
「うそだぴょーん!^^」
その「うそだぴょーん!^^」が「うそ」だったかもしれませんよ。
「「うそ」である」という「うそ」をつかれていたかもしれない。
「うそ」という「うそ」。
そう、あなたは昨日エイプリルフールに「うそ」という名のもとに衝撃の真実をカミングアウトされていたかもしれないのです。
※体育教師Tの話は一部フィクションです。
皆さんにとって、新年度が素敵な1年になりますように。
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