アウティングをめぐるとても悲しい事件
こんばんは、たまです。
昼間は相変わらずハンカチが欠かせない日々が続いていますが、
夜この時間にもなると肌に触れる風はもう秋の風だなぁ、と感じるようになってきました。
さて、ここ数日で下火になってきたようではありますが、ニュースでも大々的に報道されたのでご存知の方も多いかと思いますが、
昨年、同性愛者をめぐるとても悲しい事件が起こっていたことを知り、僕はとても複雑な心境です。
一橋大学の法科大学院の学生Aくんが、同級生のZくんに思い切って告白したところ、告白が成就しなかったばかりか、
ZくんがLINEのグループでゲイであることを特定多数の同級生にバラして(アウティングして)しまった。
Aくんは大学のハラスメント相談なども活用して胸の内を告げて助けを求めていましたが、
十分な対応をしてもらえたという実感なく、思い詰めた結果、Aくんはパニック発作に陥り自死を選んでしまった、という事件です。
最終的に、Aくんのご遺族がZくんと大学を相手に訴訟を提起して、現在大きく取り上げられるに至っています。
この事件を通じては非常にたくさんの論点が考えられ、色々と考えを巡らせすぎて書くことがなかなかまとまらず、とてももどかしいです…。
・LGBTのカミングアウトとアウティング
・人権を擁護すべき「法曹」の養成機関でこのような事件が起きてしまったこと
・法科大学院という環境の特殊性について
・この事件はどうして訴訟にまで至るほどこじれてしまったのか
・Aくんのメンタルが弱かったからこのような結果になってしまったのか
・カミングアウトを突きつけられたZくんの立場からこの事件を考えるとどうなるか
・大学側は「ハラスメント」対応としてどのような対応をすべきだったのか
・アウティングの対象が仮にHIV感染の事実だったらどうなるか
いずれにせよ、この事件は、アウティングそのものというより、その後の環境がAくんを追い詰めてしまったのではないかと感じています。
実質的に後戻りできない毎日を生きているなかで、想いを寄せていた人、家族、他の同級生、大学、周囲の存在にことごとく助けを求められないと感じてしまった。
誰かがどこかのタイミングでAくんの心の声にもっと耳を傾けていれば違う結果に導けたのではないかと思えてならないのです。
人の心は、ほんの少しのきっかけで小さな風穴でも空けば、すっと心が楽になった気分になることもあるものです。
結果として大した助けにはならなくても、「親身になって助けようとしてくれた」ということ自体が拠りどころになったりする。
優しさや思いやりの基礎にあるものは他者の立場を「想像」する力、そのことを改めて思い知らされる事件です。
皆さんにとって、今日1日が素敵な1日になりますように。
そして、震災で被災された皆さんが1日も早く復興のための1歩を進められますように。
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