HIV7年生男子の雑記~HIVをポジティブに~

HIV感染から7年目のアラサーゲイ「たま」の雑記。HIVに関する経験や日々の出来事を記していきます。tamatamatama1984@gmail.com までご遠慮なく!

ブログというツールが持つ訴求力(ちょっと長文)

 

こんにちは、たまです。

 

昨晩はカオスな夢にうなされて微妙な目覚めをしてしまいました。

自宅で、松屋のサラダ用の生野菜を器に盛りつけて計量するという内職をしていて、

その結果、家の中じゅうに千切りキャベツが散乱してしまっているという…。

しかも生野菜のはずなのになぜかキャベツからはもくもくと湯気が上っているしw

 

僕が飲んでいるストックリンという抗HIV薬は、有名な副作用に

「悪夢(異夢)」

というものがあって、飲み始めの数日間は何とも奇妙な夢を見たことを覚えていますが、

今となっては飲み始める前と比べてどうかと言われるとあまりよく分かりません。

ただ単にストレスが溜まっているだけ、っていう可能性も否定できないし。

僕の身体にはそれほど相性の悪いお薬ではないような気もしています。

 

 

さて、僕もブログを始めてもう1か月経過して少しずつ慣れてはきたのですが、

最近他の方のブログを今まで以上に訪れるようになって感じることは、

HIV関連のブログはあまり継続率が高くないんだなぁ、ということです。

 

人それぞれ、ブログを始める理由はそれぞれ持っていると思います。

・自分自身の気持ちの整理のため

・将来の自分のために記録を残しておくため

・同じ趣味や境遇の方とコミュニケーションをとるツールとするため

・自分の日々感じたこと、思ったこと、経験したことを他の人に読んでもらうため

 

更新が止まってしまう理由はいろいろと考えられるところではありますが、

HIV感染が発覚してブログを始めたけれど、数か月~1年程度経過した頃には

ある程度気持ちの整理もついて、各種申請や治療(投薬)方針も定まってきて、

ブログを更新する必要性が低下したということなのかなぁ、とも思っています。

(まぁ、そうなれば必然的にHIVに関連して書くネタは少なくなってきますし。)

 

「便りがないのは良い便り」とはよく言ったもので、

大きな支障なく日常生活を送れるようになったということであれば喜ばしいことですが、

突然更新が止まっていると、病気が病気なだけに心配になってしまうこともあります。

 

心配になるのに加えて、僕自身は、更新が止まってしまうことを残念だとも感じます。

 

僕もそうだったのですが、HIV感染が判明したばかりの人は、同じく感染した方の

ブログを読んで様々な情報を得たりすることが多いのではないかと思います。

 

感染が判明して自分はいまどんな立場に置かれているのか、

他の感染者はどんな気持ちで生活してきたのか、通院や治療はどうするのか、

お金はどれくらいかかるのか、自分の命はこれからどうなるのか、等々。

 

そうした情報は、ブログでなくてもネット上の情報や感染者向けの冊子などで

得ることもできますが、やはりブログに綴られた情報は、実際に歩みを進めてきた方の

「生きた情報」であり、読み手に訴えかける・浸透していく力は非常に大きいものです。

 

よく未成年者の犯罪に関する実名報道や週刊誌への顔写真の掲載などが問題となりますが、

そこで実名報道等を行う側がよく主張するのは、「情報の生々しさ」という観点です。

 

つまり、ただ単に「17歳の少年A」と報道するよりも、

「東京都○○区の△△高校に通う甲野太郎という17歳の男子高校生」

とした方が、情報の受領者はより詳細なイメージを持ち得るし、報道の力はより増します。

報道機関としては、事実をより強い力をもって報道することが使命だ、という論理です。

少年法との関連もあり難しい問題ではありますが、その是非は議論になる部分なのでここでは割愛します。)

 

少し逸れましたが、情報の訴求力は、その「情報の生々しさ」に負うところが大きいのです。

 

HIVは今では慢性疾患とも言えるものとなり、ほぼ寿命を全うできる」と言われても、

感染者が実際に生きてきた記録として綴った情報とでは説得力が大きく異なります。

実際に様々な苦悩を経験してきてはいるけれど、今しっかり生活することができている、

という「生きた情報」に触れられた方が、情報の説得力・訴求力は増します。

 

日本におけるHIV感染者(AIDS発症者を含む、以下同じ)の累計(報告)数は

2014年末時点でおよそ2万5000人程度と報告されています。

もちろんこの数は少ない方が望ましいのですが、日本全体の人口と比較すれば少ないもので、

HIVに関連する「生きた情報」はまだまだ不足しているのではないかと考えます。

 

一方で、ここ数年の年間の新規HIV感染発覚者は1500人程度にも及び、

毎日2~3人は陽性告知をされ、闇の中で苦しみ始めているという現実があります。

そして、パートナーや家族など、そうした人を突如として支えることになる人もいます。

 

当人にとっては取るに足らない日々の経験や雑事であっても、

実際のHIV感染者や感染者を支える人々がブログにおいてその内容を綴ることは、

他の感染者や感染者を支える人々に有益な「生きた情報」とエールを与えるとともに、

感染不安を持つ人への啓発など新たな感染者を増やさないための「生きた情報」とも

なり得る、大切な「財産」になるのだと思います。

 

まだまだブログひよっこの僕が言うのも僭越ですが、せっかくの「生きた情報」を

更新を止めてしまって情報の海に埋もれさせてしまうのは大変もったいないと思います。

数か月に1回でも、簡単な近況報告や「元気にやってます!」と更新されるだけでも、

そのブログは生き続け、それまで綴った情報もより活力を帯びるのではないかと思うのです。

 

 

皆さんにとって、今日1日が素敵な1日になりますように。

  

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HIV感染のカミングアウトという問題(ちょっと長文)

 

こんばんは、たまです。

 

本当は昨晩更新しようと思ったのですが…

昨日は仕事後に前職の同僚たちと久しぶりに会っていて

ほろ酔い気分で帰ってきたのでそのまま倒れちゃいました。。

 

今月から始まった新生活にもやっと少ーしずつ慣れてきて、

先日やっと新しい保険証をゲットしました(^人^)

インフルの診察で10割ぜんぶ立替えしたのはキツかった…。

でも、保険証のおかげ様で昨日の飲み会代くらいは返ってきたw

 

健康保険、2月から新生活が始まって保険者が変わったのをきっかけに、

定年になった親も僕の扶養の形で加入させてもらうことにしました。

 

親には、僕がHIVに感染していることは伝えていません。

 

陽性告知されて診察を受けるようになり、投薬を始めてもしばらくの間は、

今とは逆に親を世帯主にした健康保険に僕も加入していたので、

保険証を使うたびに親に知られることがないかとても不安でした。

 (何とかバレずにコントロールすることができ、今に至るのですが。)

 

福祉制度の申請やらその利用がきっかけで親に連絡が行かないか、とか、

毎年何回か世帯主に対して発行される「医療費のお知らせ」なる書面とか、

HIV診察や投薬にかかる桁違いの医療費が記載されますからね…)

ずっと心配は尽きない状態でした。

 

 

HIV感染が発覚してから誰もがぶつかる壁、

誰に、いつ、感染の事実を告げるかという問題。

 

陽性の人のなかでも、信頼できる家族や友人にはカミングアウトして

実際に理解や協力を得られているという人もいると思います。

人によってはもっと広くカミングアウトする人もいるかもしれません。

 

一方で、僕のように、親であってもカミングアウトできない人もいます。

告げることで相手との関係が壊れてしまわないか、

告げることで自分がHIVに感染している事実が他に漏れてしまわないか、

相手を不安や心配に陥れてしまうのではないか、

様々な要因があり、カミングアウトに踏み切れない人も多くいるはずです。

  

 

HIVに感染しても、それを誰かに告げなければならないという義務はありません。

誰にも告げないという選択をすることが後ろめたいことであるとも思いません。

 

直近で性的関係をもった人に対して検査を促すことはした方が良いと思いますが、

それに伴って自分がHIVに感染している事実までを告げる必要は必ずしもありません。

 

大切な自分自身の属性の一つとして、自分自身の自由な判断で、誰に、いつ、

感染の事実を告げるかを、ゆっくり、じっくり考えていけば良いと考えます。

 

カミングアウトは後戻りできないので、自分が本当に熟慮した結果、

納得した人に、納得したタイミングで告げることが一番大切なのだと思います。

 

ただ、HIV感染の場合、特に感染発覚から間もない時期には、

気持ちの整理もつかない、同じ境遇の知り合いもいない、そして極度の不安のなかで、

誰かに相談したり話をしたいと強く思うにもかかわらず、

誰かに相談したり話したりすることが、すなわちカミングアウトになってしまう

というジレンマがあります。

 

本来、そのような時期こそカミングアウトについて冷静に考える必要があるのだと思いますが、

そのようなジレンマのなかで性急にカミングアウトせざるを得なくなったり、

逆に誰にも相談したり話したりできず不安をずっと独りで抱え込んでしまったりもする。

 

だからこそ、匿名で誰かに相談したり話ができる環境がしっかり確保されたり、

考えを推し進めていくための材料となる正確な情報が提供されたりすることは

非常に重要なことだと考えます。

(例えば、ぷれいす東京(http://www.ptokyo.org/)というNPO特定非営利活動法人)などでは

陽性者が匿名で相談したりできる制度や、HIV不安を持つ方向けの情報等が紹介されています。)

  

そしてそうした環境や情報に、必要な人が必要な時にアクセスできる

体制を整えていくことも、これからより一層求められていくと思います。

 

僕のこの藁のような頼りないブログでも、そうしたやりきれない想いを持った方や

情報を求める方のほんの一助にでもなれれば嬉しいな、なんて思っています。

 

 

皆さんにとって、今日1日が素敵な1日になりますように。

  

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春一番なバレンタインと国家試験

 

こんばんは、たまです。

 

関東では春一番が吹いたようですね。

バレンタイン、皆さまいかがお過ごしでしたでしょうか。

 

ゲイにとってはバレンタインもホワイトデーもあったもんじゃないですが、

(そりゃあ、凸とか凹とかで区別することも不可能ではないですが)

早くも昨日(13日)、相方とチョコ交換をしてきました。

 

付き合い始めてから毎年の恒例行事で、バレンタインもホワイトデーも

お互いにチョコやらお菓子やらプレゼント交換をすることにしているのです。

 

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僕にはもったいないクラスのベルギーチョコをもらいました☆

普段はチロルチョコをにこにこ笑顔で食べている僕ですが、

自分で買うことはない逸品、ありがたく賞味します^^

 

 

そして、バレンタインは相方の某医療系国家試験の日でもありました。

 

相方は、僕と付き合う前後は別の専門領域の仕事に就いていたのですが、

その後一念発起して3年間専門学校に通い、今日に至ります。

 

一念発起した理由は相方からいろいろと聞いてはいますが、

HIVに感染した僕と付き合い始めたこともきっかけの一つになったのかなぁ、

とか、そこまでは聞いてはいませんが、勝手に想像しちゃったりします。

 

万が一僕のHIVが騒ぎ出して生活に支障が出てきたときのこととか、

そこまで考えてその道を選んでくれていたとしたら、複雑な気持ちではある一方、

人生をかけてそうしてくれたことに嬉しい気持ちと感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

3年間、辛いことも多かったみたいで僕が相方を支えたこともあったけれど、

試験、自己採点ではある程度安心できる得点がとれたと聞いて、

僕の方が安心してポロポロ泣いちゃいました…(泣き虫)

 

支えてくれる存在、本当に本当に尊くて心強いです。

 

 

皆さんにとって、今日1日が素敵な1日になりますように。

  

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「死」へのイメージ

 

こんばんは、たまです。

 

インフルはずいぶん良くなりまして、自宅謹慎も今日で解けます。

こじらせなくて良かった…。予防接種&タミフルさまさまです。

 

 

さて、先日のブログではHIV感染告知の場面について書かせてもらいました。

これからは、告知からその後のことも少しずつ綴っていければと思います。

 

 

HIV感染が発覚して、毎日の生活で何が一番変わったかというと、

正直、劇的に変わったということはあまりありません。

 

もちろん、治療に必要な定期的な検査や毎日の服薬の負担、

HIV感染者として日々感じる精神的な負荷は少なからずありますが、

それまでの生活と大きく変わらない生活を送ることができています。

 

 

でも、考え方や世の中の見方はずいぶんと変わったなぁと思います。

特に、自分の生に対しても、他人の生に対しても、「生」に敏感になった気がします。

「生」の有限性、すなわち「死」という「生」の終着点へのイメージが、

自分にとってより具体的に目の前に現れるようになりました。

 

これは、自分にとって「死」が近いものになった、ということとは少し違います。

日々の「生」における「死」という存在を、彼岸の霧の中にあるものとしてではなく、

その霧が晴れて具体的な形で捉えることができるようになったということです。

 

僕の「生」は、毎日欠かさず服薬を行うことでつながっている。

そしてその薬は、社会の恩恵に与らなくては(経済的に)手にすることが難しい。

自分の命は自分一人の力だけでは支えきることができず、社会にも支えてもらうことで

続いているという思いが、「死」を目の前に顕然なものとさせたのかもしれません。

 

 

改めて、自分が「死」を迎えるということがどういう意味を持つか考えてみると、

「死」を迎えること自体への恐怖より、「死」がもたらすことへの恐怖の方が強い。

自分にとって大切な人たちに死別という大きな悲しみを与えてしまうこと。

命をつないでいく支えをしてくれた社会にお返しをする機会がなくなること。

 

一方で、「死」が顕然としたことがもたらしたポジティブな部分もあります。

今、「生」が続いていることに素直に感謝できるようになったこと。

既に「死」を迎えた人に今まで以上に心を寄せることができるようになったこと。

 

色々とありますが、「死」を単に漠然とした感情で恐れることがなくなったことで、

「死」とどう向き合うか、どう準備するか、について指針が持てるようになりました。

そしてそれは、日々の「生」への姿勢の変化にも少しずつ繋がってきています。

 

 

太宰治(厳密には作中の「葉蔵」は)「死」を喜劇名詞に分類しました。

僕も、「死別」は悲劇名詞であると思う一方「死」は喜劇名詞ではないかと思います。

 

僕は宗教的なものには詳しくないし、特定の宗教に帰依することは考えていませんが、

「死」あってこその「生」とよく言われるように、「死」への認識は、「生」に対し

スポットライトを当て、「生」をより良い方向に導くものとなると捉えています。

(もちろんそこには「生きる意味」という大きな課題がかかわってきますが、

それについてはまた追ってこの場で書かせていただこうと思っています。)

 

そうであれば、HIVは、あながち「生」にとっての脅威となるばかりの存在として

自分と共存しているわけではないのではないか、と思ったりもするのです。

 

 

皆さんにとって、今日1日が素敵な1日になりますように。

  

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インフルエンザに感染しちゃいました…!!

 

こんばんは、たまです。

 

インフルエンザに感染しちゃいました!

 

昨日から何となく怪しくて、今日午前中に検査してもらったらビンゴ。

しかもHIV感染後、初のインフルエンザです

(てか、インフルエンザに感染したのは小学生の時以来かな。)

 

毎年予防接種は受けているのですが、今年は勝てなかった…。

今秋から今冬にかけてはR-1乳酸菌もほぼ毎日摂取するようにしていたのに。。

残念ながら、強さは引き出されなかったみたいです。

 

HIV感染症は免疫疾患なので、インフルエンザが重篤化しやすいです。

そのため、HIV感染者は「基礎疾患」を有するものとして

厚生労働省「優先接種対象者」として分類しています。

(ワクチンが不足した際には優先的に早期に接種できるようです。)

 

今季も、昨年10月末には早くも予防接種はしたのですが、

ちょっと早すぎて効果が薄らいでしまったのかもしれません。

1月に入ってからでも2回目を接種すべきだったのかも。

 

しかしながら、熱は今朝の38度3分が最高で、現在37度8分。

インフルエンザ感染にしては、熱はやや低めなのかもしれません。

(昨冬は、仕事中に突然39度前半まで熱が出たことがあって、これは確実に

インフルエンザだと思って検査をしたら陰性だったということもありました。)

 

予防接種は必ずしもインフルエンザ感染を完全に防ぐものではないにしても、

少なくともその重篤化を防いでくれる効果はあるようです。

 

そんなこんなで、タミフルを処方され服薬し、おとなしくしています。

 

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食事も消化の良いものを、と言われているのですが、今日食べたものは…

 

 

「肉野菜炒め弁当」「ギョウザ」「納豆」

「もずく」「フルーツヨーグルト」「杏仁豆腐」

 

 

全然消化良くないし、どんだけ食うんだw

 

どうも僕は相当体調崩しても食欲がなくならないのですBMIは21程度の普通ですw)。

むしろ、しっかり食べないとストレスたまるし、「食べて治す!」

ことが習慣化しているもので、とにかく食べられる時は食べます。

(ただ、ここ10年以上慢性的な扁桃腺炎をもっているので、それが出てしまうと

食欲はあるのに激痛で食べることも飲むこともできず、本当にツラいです。)

 

 

さて、何ともまとまりのない内容ですが、巷ではインフルエンザ大流行中です

皆さんもインフルエンザには十分お気を付けくださいね。

 

 

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人生の逆転満塁ホームラン ~薬物依存とHIV~(ちょっと長文)

 

こんばんは、たまです。

  

清原さんが逮捕されてしまいましたね…。

 

最近はプロ野球もあまり見なくなってしまったけれど、

小学生の時には何度も父親と東京ドームに足を運んだりするほど野球好きだったので、

大活躍していた時期を知っていただけに、何とも寂しい気持ちになりました。

 

引退に至るまでの数年間とその後、ケガや色々なことに悩まされて、苦しんで、

その中でふと悪魔のささやきに心の隙間を埋められてしまったのかな。。

 

四国でお遍路をしている姿が報道されていましたが、既にその頃から

薬物にのめりこんでしまった自分自身と必死に闘っていたのかもしれません。

 

しかし結果、お子さんや親交のあった人々、ファンの皆さんを裏切る結果になり、

そして何より自分自身の身体を不可逆的に傷つけてしまった。

これらのことは、彼自身これからずっと背負っていかなければならない。

 

そして、覚せい剤の所持・使用はれっきとした犯罪ですから、

自身の犯してしまった罪は厳に反省しなければならないことです。

彼ほどの社会的影響力のある有名人であれば、その点はなおさらです。

 

 

ただ、彼が逮捕されたとたん手のひらを返したように「容疑者」と呼称し、

大衆迎合するかのようにもてはやすメディアの行為には違和感を覚えざるを得ません。

 

単に(売人としての立場で被害者を増やすということはせずに)薬物の使用を

行ってしまったに過ぎない人を、公共の場でこれでもかと叩く行為には、

言い方は悪いかもしれませんが「いじめ」に近い恐ろしさを感じます。

 

  

覚せい剤をはじめとした薬物依存は、個人の努力では克服できない「病気」です。

自身でやめようと思っても、生理現象と同じように、身体がどうしても求めてしまい

自身でそれを制御することはできなってしまう。そしてさらにエスカレートする。

一度手を出し、それからすぐに引き返さなければ、もう後は突き進むしかない。

(まさに、飛行機のpoint of no return(帰還不能点)です。)

 

そして、この「病気」は、ある程度依存が進んだら完治しないと言われています。

更生への道を進み、薬物を断てる可能性はあるとしても、

一生、薬物の誘惑と闘っていかなくてはならない。

 

 

こうした「完治しない病気である」という点はHIV感染症とも共通するものです。

更に、元をたどると「欲望に負けてしまった個人の一時の不注意」に原因がある

という点も、多くのHIV感染事例と共通します。

(もちろん、薬害や輸血事故その他不可避的に感染してしまった例は除きます。)

  

HIVは今や医学の進歩により、早期発見・治療を行えば、他の慢性疾患と同様に

大きな支障を感じることなく生活することができるまでになりました。

それに加えて、薬害エイズ訴訟の原告団の方々の血のにじむ努力の結果、

我々は様々な福祉制度の恩恵を受けることもできるようになりました。

こうした方々のご尽力や社会の皆さんの支えに心から感謝しています。

 

 

ところが、薬物依存はHIVよりも更に深い闇をもった「病気」だと感じています。

治療を行いつつ、それより辛い自分自身との絶え間ない闘いをしなければならない。

大変に孤独で、厳しい闘いを一生涯送らなければならないのです。

 

今回の事件では、恐らく執行猶予がついて刑務所には収監されないと予想されますが、

今の状態ですぐに社会に放り出されることにより、

刑務所で生活する以上の苦境に立つことになるかもしれません。

周囲の人や社会の大きな支えがなければ、

おそらくこの「病気」に打ち勝つことはできないでしょう。

 

 

人は、辛かったり、苦しかったり、色々なことが自分の思い通りにならないとき、

様々な誘惑に負けてしまいそうになることもある。

人によってその個人の置かれた状況は千差万別だし、

社会的に恵まれている人とそうでない人がいる。

だから、多くの人は頑張れたのにこの人は頑張らなかったから「悪い」、

とは一概には言えないと思います。

(自分自身がHIVに感染してしまったことを正当化するつもりはありませんが…)

 

誘惑に負けてしまった人は、それをしっかり反省して、更生の道に乗れた暁には、

差し出された支援や恩に対して何らかの形で報いることができるようにする。

それこそが、日本人が古来大切にしてきた支え合いの精神なのだと思うのです。

 

 

薬物依存に陥った人の更生への道中、最初のハードルは「社会」です。

 

メディアには、清原さんのプライベートや心の闇を過剰に追求するのではなく、

今回の事件をきっかけとして、薬物依存の危険性を改めて周知することや、

更生への道を歩んでいる人がどのような施設・制度を利用できていて、

どのような闘いをしているのか、

そのような部分にスポットライトを当ててもらえたら、と思っています。

 

 

ボールにtweetすることで有名(?)なKKコンビの相方、

桑田さんが素敵なことを言っていました。

 

「(彼には)人生の逆転満塁ホームランを打ってほしい」

 

引退後の清原さんを心配して様々なアドバイスをし、

その結果3年前に絶縁されてしまったにもかかわらず、

今に至りこのようなコメントをできる心の広さには胸が熱くなりました。

 

逆転満塁ホームランを打てば、打った本人はもちろん、ファンもみんな喜ぶでしょう。

相当険しい道のりではあるとしても、僕もそう思わずにはいられません。

 

 

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新生活は計画的に ~ゲイ・HIVの影響~

こんばんは。

今週から新生活を始めた、たまです。

新生活といっても転職をしただけなのですが。

 

僕自身、もうこの年で既に2回目の転職なので、若干慣れたとはいえ

周囲の人たちや業務に馴染むまでの数週間~数か月は大変ですね…。

 

仕事内容は前職以上にエキサイティングそうだし(かなり勉強しなきゃですが)

周囲の人もイイ人が多そうなので(やたらと飲み会が多そうですが)

そこは少しホッとしています。

 

 

しかしながら、「ゲイ」属性でHIV属性も備えていると、

 

ギャラドスに電気

 

並みに、新生活を始めるにも様々な懸念点が相乗効果でのしかかります。

 

 

・カミングアウトをどうするか

 

一般的なゲイの永遠のテーマです。

 

もちろん、何のためらいもなくゲイをフルオープンにできる人には

あてはまらないのは当然ですが、それこそマイノリティでしょう。

(相方は実にこのフルオープンなタイプなのですが…。)

 

この前とある方のブログを読んでいてなるほどと思ったのですが、

ゲイに対して執拗に「彼女は?」「結婚は?」などと詰めることは

「セクハラ」に該当するのでは、という意見もあるようです。

(当然、相手が「ゲイ」だとは知らずに尋ねるのが通常でしょうが。)

 

病気や何らかの事情でお子さんをもつことができない女性に対して

悪気はなくとも「子どもはまだか?」などと繰り返し尋ねてしまい、

知らぬ間に相手を傷つけている事例と共通点があるような気がします。

 

「セクハラ」が「セクシャル(性的な)」「ハラスメント(嫌がらせ)」

であるところ、当該「ハラスメント」を「相手が不快に感じるか」どうか

という観点で判定する立場からすれば、ゲイに上記のように執拗に問う場合、

厳密には「セクハラ」に該当する可能性もあるのかもしれません。

 

もっとも、周囲の人には「他害意思」などないことがほとんどであり、

むしろ逆に、職場での日々の雑談や酒席等において親睦を深めようと思って

悪気なく行っていることであるので、難しいところです。

 

法的観点からの検討や議論には面白い題材だと思いますが、

人によって意見が分かれる問題だと思います。

 

話が逸れましたが、僕は少なくとも相手を選んで告げるにとどまり、

酒が入っても大々的にカミングアウトすることはないでしょう。

(オープンにできれば、同僚とももっと仲良くなれるのになぁー。。)

 

ま、相方には「彼女になってもらうよー」と伝えてありますw

 

 

・会社に「HIVであること」や「障害者」であることを伝えるか

 

まぁ、HIV感染者にとっては、ゲイ告知以上に頭が痛いところです。

 

この問題は、そもそも就職・転職活動を行う段階でも悩むところですし、

働き始めても社会保険や年末調整(確定申告)の場面でも登場したり

通院都合の関係でも登場したりする、なかなか厄介な問題です。

(告知できれば生活しやすくなることも多いのですが。。)

 

なかには会社自体が理解のある会社であったり、総務担当者が人格者で

心強く対応してくださったりすることもあるでしょうが、一般的に見た場合、

告知を行うことはまだまだリスクの方が大きいと思ってしまいます。

 

 

・健康保険や更生医療等の変更やそのタイミングの問題

 

これはその場面に立ち会わないとなかなか実感がわかないかもですが、

意外と気を付けておかないと困ったことになるところです。

 

健康保険については、転職をすることでその種類が変わる可能性があります。

国民健康保険、健康保険(協会けんぽ・組合健保)、共済組合など。)

 

そしてその種類によっては、高額療養費や付加給付などに関わることもあり、

更生医療等、HIV投薬治療をサポートする各制度との間で競合が生じ得ます。

(各福祉制度については、また後日詳しく扱いたいと思っています。)

 

そしてそれがきっかけで、不本意ながら組合や会社に「何らかの重病がある」

と気づかれるきっかけとなってしまう可能性も、厳密には否定できません。

 

更に、転居を伴う場合には利用する各地方自体主導の福祉制度や

更生医療にかかる病院・薬局が変更になってしまったり、

そうした変更や健康保険にかかわる変更につき

関係各所に届出を行う必要が生じたりもします。

 

加えて、転職のタイミングでは「健康保険証の不保持期間」が生じるため、

HIV薬のストックがその期間に切れないよう予め気を付けなきゃなのです。

(ちゃんと還付申請もでき得るはずですが、一時払いの金額が金額ですので…。

HIV薬の選択や管理等についても、また後日詳しく扱おうと思います。)

 

 

…と、新生活もなかなか大変ですが、自分が成長を遂げる大きなチャンス。

しっかり前を向いて頑張っていこうと思います!!

 

 

皆さんにとって、今日1日が素敵な1日になりますように。

  

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Merry Christmas ~HIV陽性告知、その時~

 

夜も遅くにこんばんは、たまです。

  

今日で1月も終わりですが…

‘Merry Christmas’

 

ついこの前バンプのCDを整理している時に見つけて、

懐かしいなぁー、と思ってパシャッと撮ってみました。

 

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ちょうど僕がHIV陽性告知を受けるちょい前に発売されたシングルで、

告知を受けたその日の検査会場への行き帰りの道すがら、

この‘Merry Christmas’と‘R.I.P.’をリピートして聞いていたので、

今でも曲を聴くと、クリスマスを控えた12月のあの日、あの場所を思い出します。

 

ちなみに、‘Merry Christmas’は‘R.I.P.’のカップリング曲なのですが、

バンプ的にはカップリングとかって表現は本意ではないようですが…)

この‘R.I.P.’を和訳すると…

 

「安らかに眠れ」R.I.P.=Rest In Peace(Requiescat in Pace))

 

当時はなかなかにシャレになりませんでしたw

 

 

あれからもう6年以上になるんだなー、

って思うと、何とも言えない気持ちになります。

 

 

僕が陽性告知を受けた時の検査は保健所の即日検査だったのですが、

陽性告知を受けた多くの皆さんと同じく、検査当日は確認検査に回すとのみ告げられ、

その後の1週間は生きた心地がしなかったです、ホントに。

 

確認検査の結果を聞きに行く当日は、高校入試の時に母親からもらった

小さなネコのお守りをずっと握りしめて祈りながら会場に向かいました。

 

でも、結果は陽性。

 

告知のあった部屋に入ると、心を落ち着かせるよう配慮してくれたのか

窓際に置かれたラジカセからクラシックが流れていて、

「あ。やっぱりそうなのか。」と思ったことは記憶に刻まれています。

 

でも、告知の瞬間とその後説明してもらった内容は、正直あまりよく覚えていません。

 

泣いたり取り乱したりすることはなかったのですが、

冷静でいるために神経を使っていたのか、聞いた内容は思い出せない。

 

ただ、所長らしき男性の方と臨床心理士の女性(この方の名刺は今も手元にあります)

本当に親身に対応してくださったことは覚えています。

 

 

さて、こんな残酷な思い出と強く紐づけられた曲ではありますが、

‘Merry Christmas’は今になってもバンプの中でもとても好きな曲の1つです。

 

巷の「クリスマス」が外から眺められた、クリスマスソングらしからぬ寂しさのある曲。

(当時は時期的にこの曲の歌詞を自分に置き換えてみたりもしましたが…)

でも、バンプらしい、とっても暖かくて優しい気持ちになれる曲です。

 

陽性の告知を受けてから、辛くて、悲しくて、寂しくて、情けなくて、

色々な人に申し訳なくて、自己嫌悪に陥って、そんなことも多くありました。

 

でも、

良くも悪くも世の中には自分1人ではないこと、誰かの幸せを願えることの素敵さ、

そして何より自分自身にもちゃんと優しくしてあげること、

そんな大切なことたちをこの曲から教えてもらったような気がします。

 

 

皆さんにとって、今日1日が素敵な1日になりますように。

  

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太陽と月

 

むかーしむかし、ある国に、

太陽とシスコムーン(produced by つんく♂

という女性グループがいたそうな。

 

ちょうどその頃、我らがメッカである二丁目のとあるショップを覗いていると、

「太陽とムスコビーン」

というVHS(某大手C社作品)を見つけて、

そのネーミングセンスにエラく感動したことを覚えています。

(当時、僕自身が対象年齢に達していたかどうかは定かではないが…。)

 

 

こんばんは、たまです。

 

 

唐突ですが、僕にはHIV感染が判明してからできた彼氏がいます。

そして明日1月27日が、ちょうどその4回目の記念日なのです。

 

 

僕より年下のHIV非感染者である彼は、僕が感染者であるとは知らず、

冬のある日、突然、僕の前にひょこっと現れたのです。

 

 

僕はHIVに感染するまで、男女ともに人と付き合ったこともあるし、

体だけの関係であれば、それはもう恥ずかしくなるくらいの経験はありました。

(そんなだからこそ、王道を進んでHIVに感染してしまったのですが…。)

 

でも、感染が判明してからは、

相手がどんなイケメンであろうと体の相性が良かろうと、

今後、恋愛感情を持って人と付き合うことはないと、そう心に決めていました。

 

相手を傷つけるのが怖かったし、何より自分が傷つくのが怖かったのかもしれません。

そして誰にも感染の事実を告げることなく、それまで生きてきました。

 

 

だから僕は、最初に彼と出逢った日はもちろん、その後もしばらくの間、

彼がこれから人生を共にする人になるとは思ってもいませんでした。

 

 

でも、彼は僕のどこを気に入ってくれたのか、とても好意を抱いてくれました。

僕は、彼のあどけない笑顔や美しい涙、本当に真っ直ぐな心が見えてくるなかで、

生まれて初めて、内面から人のことを「好きになる」感覚が芽生えました。

 

それと同時に、

「あぁ、この人にはどうしてもありのままの僕の姿を伝えなくちゃ。」

と思うようになったのです。

 

彼は僕の中に入り込んで、何かを壊してくれたのだと思います。

 

 

そして、僕は彼にHIVに感染している事実を伝えました。

 

彼は、ずっと泣きながらその事実をしっかりと受け止めてくれて、

僕自身が気づいていなかった、僕の綺麗な部分をいくつも教えてくれました。

 

 

そうして、僕たちはお互いかけがえのないパートナーになりました。

 

 

僕は、いつも落ち着いていて、どこかひんやりとした目で世の中を見つめています。

そして、自分のことを表現することが苦手で、自分の殻にこもってしまうことも多い。

そんな自分のことを、僕は「月」のような人間だと思っています。

 

彼は、明るく透き通った真っ直ぐな光で、

そんな僕の色々な側面を照らしてくれています。

僕は、彼のおかげで今でも光り輝くことができているのだと思います。

 

一方で僕は、

光にも速さがあるから、僕が光り輝くのを止めるのは、一瞬でも

彼が光り輝くのをやめたその後でなければならないと思っています。

 

 

HIV

感染しなければ見られなかった美しい世界、

感染しなければ抱けなかった何物にも代えられない感情、

感染しなければ出逢えなかった素敵な人、

そういうものも確かにあるのだと、彼に出逢ってからそう思えるようになりました。

 

 

HIVに感染しながらも生きていくことを支えてくれている社会に心から感謝しつつ、

彼にも、改めて「いつも本当にありがとう。」と伝えてこようと思います。

 

 

皆さんにとって、今日1日が素敵な1日になりますように。

 

 

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HIV感染不安のある方へ ~分かっちゃいるけど…~(長文/後編)

 

こんばんは、たまです。

 

前回は、HIV検査にトライするための「あと一歩」を踏み出すための一助になり得るエッセンスのうち、

1.検査を受けることのデメリットについて分析してみる」について考えてみました。

今回はその続きに進みたいと思います。長文、お付き合いください。

 

 

2.自発的な検査によって「HIV感染の事実を知ること」の意義を考えてみる

 

意外と認識が薄れやすい部分かもしれませんが、検査を受けようかどうか考えている時点において

HIV「感染していない」「感染している」かは、既に潜在的な事実として存在しています

検査は、それを目に見える形にして確定させる作業です。

検査を受けることで初めてそのどちらかに振れるわけではありません。

また、仮に「感染している」としても、検査を受けないことでその事実が消えることはありません

これを前提に、自発的な検査によって「HIV感染の事実を知ること」の意義を考えてみたいと思います。

 

まず、事実として「感染していない」状態であれば、検査を受けることでその事実が確定します。

(ただしウィンドウピリオド(=検査結果が正確に出ない感染直後の一定期間)にはご留意ください。)

感染不安からある程度脱却できることになるし、今後の自身の行動の見直しを図るきっかけにもなるため、

検査を受けることは結果としてプラスにしかならないでしょう。

 

一方で、「感染している」状態であった場合にはどうでしょう。

自発的な検査によって「HIV感染の事実を知ること」は自身にとってどのような意義があるのか。

 

事実として、「HIV感染の事実を知ること」は大変残酷なことです。

これは否定することができないでしょう。

可能な限り、HIVに向き合うことなく生活することができるのであれば、

それに越したことはありません。

 

しかしながら、HIV感染症(一部の特殊な症例を除いて)時々刻々と身体を蝕んでいくものなので、

事実として既に「感染している」のであれば、

「自発的に検査を受けに行かなくても、いつかはその事実を不意に突きつけられる

(そしてその時点では様々な状況が今より相当程度悪くなってくる

ということも念頭に置いておく必要があります。

 

僕の場合は、感染が判明する1年数か月ほど前に検査を行い、陰性の診断を受けています。

(それ以前は数か月に1回のペースで検査を受けていたのですが、カクカクシカジカで間を開けてしまいました。)

しかし、その1年数か月後の検査で、陽性の診断を受けました。

そして感染が発覚した時には、既にかなり免疫力が低下してしまっていたのです。

(免疫力の指標である「CD4」が約350程度=現在のHIV治療方針では明らかに投薬を開始すべきレベル。)

 

従来、平均的な「HIV感染からAIDS発症までの期間」は約10年程度と言われてきましたが、

その期間が最近では年を追うごとに短くなっており、2~3年でAIDSを発症してしまう症例もあるようです。

(感染したウィルスのタイプや個々人の免疫機能によっても異なるようですが、原因はまだはっきりとは判明していないようです。)

 

僕の場合はまさにこのトレンドに当てはまっていたようで、もう少し検査を先延ばしにしていたら、いわゆる

「いきなりAIDS」

(=感染者本人がHIV感染の事実を知らない状態で、相当程度免疫力が低下しないと発症しないAIDSと認定されるための指標たる疾患を発症してしまうパターン

になってしまった可能性が高かったと思います。

 

そして「いきなりAIDS」となっていた場合には、

免疫力がかなり低下した状態でのAIDS指標疾患自体の治療の困難さその副作用もさることながら、

HIV治療の投薬をすぐに始められなかったり投薬開始後もその効果も上手く現れなかったり

さらには自身の意図しない関係者へ感染事実を告知せざるを得なくなったり突然の非自発的失業を招いたり、

という大変な困難に直面していたでしょう。

 

まとめると、

事実として「感染している」場合においては、

現時点で自発的に検査を受けなくとも、いずれ「感染している」事実を突きつけられることになる

(そして、その猶予期間は平均としてどんどん短くなっているし、発覚した際の状況は相当程度悪化した状態になってくる)

ということであれば、

長期スパンで見た際には、確かに残酷なことではあるけれども、

一刻も早くその事実を受け止めておける方が有益

だということです。

 

すなわち、自発的な検査によって「HIV感染の事実を知ること」は、

その瞬間の(またはその後の短期的な)残酷さを上回るだけの長期的な実利的メリットに富んでいるということです。

AIDSに至る前に自発的に感染を知ることができれば、

感染や治療に関わる今後の様々な選択肢について、自身の思うようにコントロールすることができる可能性が飛躍的に高まる

のです。

 

HIVの場合のこのような実利的メリットは、

ガンなど、発覚=入院(+治療)となってしまいやすい

他の一般的な疾病の場合に比べて、際立った特徴であると考えられます。

HIV感染は、早期発見された場合には、今までの日常生活を大きく変えることなく

今後のことを考え、それに基づき動いていくことができる余地が大きいのです。

 

 

3.検査を受けることは他者を救うことでもある

 

仮にHIVに感染している場合にそれを自分自身が知ることは、

自身のためだけでなく、大切な人や周囲の人(そして場合によってはこれから生まれてくる命)を救うことにもなり得ます。

すなわち、感染を可能な限り早期に知ることで、

そして場合によっては早期に投薬治療を開始することで、

知らぬ間に自身から他の人に感染させてしまうことを未然に防ぐことができます。

更に、仮に感染状態かつウィルス量がコントロールされていない状態であなたと

性的関係を持ってしまった人に対し、検査を促し、感染の早期発見・治療のきっかけを創出する

ことにもつながり得るということです。

 

現にHIVに感染してしまう人の多くは、

HIV感染を認識していない感染者」に感染させられてしまっていると考えられます。

そのため、感染している側も、感染させられた側も、

感染の事実に気づくタイミングが遅れてしまい、

場合によっては「いきなりAIDS」に至ってしまうことも事実として多いのだと思います。

こうした負の連鎖を断ち切るためにも、

ひとりひとりの「あなた」が検査を受けることはとても大切なことです。

 

 

以上、「あと一歩」を踏み出すためのエッセンスについて長々と考えてきましたが、

大切な人や見知らぬ誰かのため、そして何より自分自身のためにも、

「今」検査を受けることが肝心です。

 

感染していることを大前提としたこともたくさん書いてしまいましたが、

先の通り、HIVは決して感染しやすいウィルスではありません

自分自身を必要以上に不安に追い込むことなく検査に挑んでもらえればと思います。

 

晴れて「陰性」が確定した際には、再度同じ不安にさいなまれることがないよう、

然るべき対策を心がけるきっかけにしてもらえれば嬉しいです(←ここが一番大切です!)

そして万が一「陽性」であったとしても、多くの方にとって、まだ今なら

あなたらしさを失わずに生活していく可能性が十分に残されています。

 

そして、どうしても不安なことがあれば、僕でよければ(残念ながら感染可能性の診断等をすることは難しいですが)お気軽にご相談ください。

 

微力ながら、皆さんの「あと一歩」を応援しています。

 

大変な長文、最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

 

皆さんにとって、今日1日が素敵な1日になりますように。

 

 

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